不登校だった時の話:不登校になって見えた世界

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こんにちは。REONです!

 

 

最近は、放送大学の印刷教材のレポートの記事が多かったので、今回は、僕が学校に行っていなかった時の話をしたいと思います。

 

 

まだ、僕が不登校になった経緯やそこからどうやって乗り越えたを、詳しくお話していなかったので、この記事でお話しします。

 

 

 

 

 

 

僕が学校に行けなくなった経緯

 

 

僕は、初めから学校に行っていなかった訳ではありません。

 

 

中学の初めの頃は、みんなと同じように登校をしていましたし、学校生活もそれなりに充実していたと思います。

 

 

まぁ、正直楽しく登校していたわけではありませんが、、、

 

 

夏休みが終わってしばらくした後から、登校するのが難しくなり始めました。

 

 

なぜ、登校できなくなったのかというと

 

  1. 勉強に徐々についていけなくなった
  2. テストで点数を取ることができなくなってきた
  3. 環境が小学校と大きく変わってしまったから

 

これらが大きな原因でした。

 

 

小学校の頃は、勉強も結構できていましたが、中学に入学してから難易度も上がってきて、初めは何とかついていくことができていましたが、段々とついていくことができなくなっていきました。

 

 

そのため、テストでも点数を伸ばすことができず、少しずつ不安感が増していきました。

 

 

実は、小学校の時よりも、倍以上の時間を勉強に費やしていて、勉強のために部活もあえて入部せず、休みの時なども常に勉強をしていました。

(テスト前の休みは、1日10時間勉強していました…)

 

 

それにも関わらず、点数も伸びず、勉強も難しくなっていき、あまり理解できていない状態でも、授業はどんどん進んでいき、ますます不安感が増していきました。

 

 

また、小学校から環境も変わり、環境に馴染むことができなかったことも原因でした。

 

 

当時通っていた中学校の生徒数が、900人近くいるマンモス校だったので、小学校の友達と同じクラスになることがあまりなく、新しい人達とコミュニティを作っていかなければならなかったのが、かなりしんどかったのも原因の一つでした。

 

 

こうしたことが重なり、その後僕は徐々に学校に行くことができなくなり、中学一年生の冬には完全に登校をすることができなくなってしまいました。

 

 

行けなくなった後

 

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いま、あの時を振り返ると、本当に悲惨な思い出しかないですね…

 

 

完全に行けなくなった後は、本当に苦しかったですね、、、

 

 

まさに、地獄ような日々でした。

 

 

行けなくなった後も、何もしなかった訳ではなく、毎日勉強しとにかく勉強中心の生活でした。

 

 

行けなくなったとしても、みんなと遅れたら絶対にいけないという思いがあったので、勉強をさぼるということは、ありませんでしたが、ただそれでもわからなかったり、テストでも点を取ることができず、段々と心も体も疲れてきてしまいました。

 

 

初めは、追いついてやる!って気持ちが大きかったですが、「もう頑張ってもどうせだめだ、家族にも迷惑をかけて、もう死んでしまいたい」という気持ちが徐々に大きくなっていきました。

 

 

そしてある日、僕は家で自殺を図ろうとしました。

 

 

家に誰もいない日を狙って。

 

 

 

ですが、首に縄をかけたその瞬間、ある言葉を思い出しました。

 

 

 

それは、中学一年生の秋に家庭科の授業を受けた時のことです。

 

 

 

その日、”高齢者になって人生を終えるときに、どのようにして、人生の最後を迎えるか”という授業だったのですが、その時に家庭科の先生にこんな事を言われました。

 

 

 

「自分が死ぬときに、なんも楽しくない人生だったな、やり残したこといっぱいあるなぁって思って死ぬのと、人生やり切った、もう何も後悔することなく死ねる!って思うのとどっちがいいですか?いやでしょ、後悔して死ぬの。だからあなたたちは悔いなく生きて死になさい。

 

 

 

突然、この言葉が頭の中を巡りました。

 

 

 

そして、僕は「このまま、負けっぱなしでいいことない人生で死んでいいのだろうか、最後までやらなくていいのか?」

 

 

そう思い、僕は首の縄を外しました。

 

 

 

ふれあい教室へ

 

 

その後、担任の先生から”ふれあい教室”という、別教室での登校を進められ、そこに通うことになりました。

 

 

そこでは、様々な事情で通常のクラスに通うことができなくなった人が、登校をするクラスで、僕が初めてそこに登校したときは、すでに7名ほどいました。

 

 

主に自主学習が中心で、時々先生が空いた時間に、課題や書類を届けてくれたり、勉強を教えてくれたりしていました。

 

 

非常勤の先生が常駐していましたが、勉強を教えるのではなくて、教室の監督としている感じで、相談などはその先生にしていました。

 

 

僕が、登校した頃は、みんな人見知りで話すこともなく、若干殺伐とした何とも言えない空気が部屋を漂っていました、、、(笑)

 

 

ですが、何度か登校していくごとに、みんなと話をするようになり、全員先輩でしたが仲良くなくことができました。

 

 

そして、僕は2年生からはこの教室に毎日登校することを決めました。

 

 

様々な仲間たち

 

 

2年生の春からその教室に登校することが決まり、初めて本格的にその教室に通うことになりました。

 

 

その年は、1~3年生の人達がいて、クラスに通うことができなくなってしまった理由は、いじめやクラスに馴染めなかったりと様々でした。

 

 

初めは、ほとんどが初めて会う人達でしたので、お互いが緊張していましたが、通うごとに会話も増えていき、いつしかみんなと友達になっていきました。

 

 

そこでは、様々な個性をもった人達がいて、めちゃめちゃ絵の上手い人や太鼓が好きで、太鼓を極めたいという人、サバゲ―が好きな奴など様々な人達がいました。

 

 

自分にとって、初めての後輩は、クラス馴染むことができなかったり、いじめを受けてこの教室に来たそうです。

 

 

初めは、全く言葉を発さず、もう一人の一緒に入って来た友達としか、話をしてくれませんでしたが、段々と仲良くなり、いまでも連絡を取り合う仲となりました。

 

 

また、同級生には僕が1年の時に、3年生だった先輩の妹さんが、この教室にやってきていました。

 

 

彼女もクラスに馴染むことができず、また複雑な家庭環境に置かれ、精神的に追い込まれていたこともあり、この教室に来たそうです。

 

 

こういった、様々な事情を抱えた人達が、入室していました。

 

 

自分とは、全く違う人達とこれほど親しくなることはなかったので、なんだか新鮮な感じがしていました。

 

 

 

猛勉強の日々

 

 

ふれあい教室に通い始め、そこから猛勉強をすることにしました。

 

 

学校に行っていない間、毎日勉強をしていたとはいえ、授業を受けていないため、分からないところやできないところも多かったので、、、

 

 

ですが、前と同じように勉強してもダメだと思ったので、やり方自体を変えることにしました。

 

 

まず、1年生の復習や参考書を買いまくり、基礎から勉強をすることにしました。

(基礎を徹底的に叩き込みます。)

 

 

そして、過去に解いたテストを見返して、すべての科目のテストの傾向やパターンを分析しました。

 

 

ひどい点数の答案用紙を見るのは心が削れました、、、

 

 

よく見ると、毎回、同じような形式の問題が出題されていたり、ドリルの内容をそのまま出していたりなど、その科目の先生にごとにクセがあることが分かってきました。

 

 

そして、その分析結果を元に、勉強をするようにしました。

 

 

そんな感じで、戦略的に勉強をした結果、2年生の初めの頃は、あまり良くなかったですが、徐々に点数が上がり始め、最後の方は高点数が取れるようになってきました。

 

 

得意な科目は70~90点くらいは取れるようになり、登校していた時よりも、登校しなかった時の方が点数がいいという、逆転現象が起き、周りに凄く驚かれました。(笑)

 

 

 

進路決め

 

 

進路については、正直かなり悩みました。

 

 

毎日、学校に通って高校生活を楽しみたいという思いもありましたが、また行けなくなるのではという不安もあったので、3年になっても結論を出すことができませんでした。

 

 

ですが、自分は一人でコツコツ勉強をするのが向いていると思ったので、通信制の高校に進学することを決めました。

 

 

それと、僕が小学生の時なのですが、あるテレビ番組で、アメリカのホームスクールの様子を特集した番組を見た経験がありました。

 

 

それを見て、「自分も家で勉強できたらいいな!」と元々思っていたので、通信制高校を志望したというのもあります。

 

 

まぁ、親戚には「本当に大丈夫なのか!?」と心配されましたが、最終的には、「頑張れよ!」と励ましてもらえました。

 

 

 

いざ、高校受験!

 

 

 

あの日は、朝から寒くてたまりませんでした。

 

 

前日から緊張しまくっていたので、あまり寝ることもできず、ずっとピリピリしてました。

 

 

寒さと緊張で吐きそうになり、朝はほとんど何も食べずに高校へと向かいます。

 

 

そして、めちゃくちゃ緊張&汗だくの状態で、受け付けを済ませ、受験会場へ入ります。

 

 

まずは小論文。

 

 

(時間ギリギリで書いたので、かなり焦りました、、、)

 

 

その後、休憩を挟んで、国語・数学・英語の筆記試験を受けました。

 

 

(英語と数学嫌いで、過去問もあんまりできなかったに、なぜかすごい出来てびっくりしたwww)

 

 

全部終わった後、息つく暇もなく、親同伴での2対2の個別面接を受けることに。

 

 

(未だに、親同伴だったのは謎)

 

 

親同伴というのと高校受験というダブルの緊張で、噛みまくった揚げ句、うまいこと話せませんでしたが、結果は合格

 

 

晴れて、通信制高校へと入学することができました。

 

 

 

不登校になって見えた世界

 

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今は、不登校になって逆に良かったなと思っています。

 

 

学校に行けなくなったおかげで、色々なことを勉強できたり、経験をすることができました。

 

 

放送大学という大学で、経済学や経営学という自分にとって、とても楽しい学問に出会うことができましたし、とてもいいバイト先にも勤めることができました。

 

 

普通の学校に行っていれば、放送大学という大学も知らなかっただろうし、今のバイト先に勤めることもできなかったと思います。

 

 

それに、この道を選んだおかげで、前は嫌いだった勉強も、今では好きになりました。

 

 

放送大学のおかげです。(笑)

 

 

なので、この道を選んだことを後悔していません。

 

 

むしろ、よい道を選んだと思っています。

 

 

 

 

人と違ってたっていい

 

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みんなと同じように、中学に行き、高校に行き、大学か専門に行くのが普通で正しい、そうじゃなきゃ就職もできないし、なによりもそれが出来なければ、人生は終わり。

 

 

当時の僕は、そんな風に思っていました。

 

 

でも、不登校になって僕は、「人と違ったっていい、学校に行かなくたって、それに代わる何かがあればいい。やりたいことをやっていこう。」と思えるようになりました。

 

 

確かに、通信の高校・大学に行くのは多少の不安はありました。

 

 

なんせ、周りに通信制の高校に行く人なんて、ふれあい教室のメンバー以外誰もいませんでしたから。

 

 

バイトに応募するときも、

 

通信って言ったらどんな顔をされるのだろう、そんな奴を雇いたくないかもしれない。

というか、そもそもこんな自分にバイトができるのだろうか。

 

 

そんな風に感じていました。

 

 

ですが、ちゃんとバイトにだって就くことができましたし、今では、新しく入って来たバイトに仕事を教えたり、指示をするバイトリーダーみたいな感じの立場です。

 

 

人に教えることの難しさ、人を動かすことの大変さ感じ、苦悩できるくらいの立場なりました。

 

 

あの頃の自分では、到底考えられないことが起きているな、と日々感じています。

 

 

だから、いま学校に通えていなくても、それが「悪いことだ」「ズル休みをしてる」とか、思わないでほしいなと思います。

 

 

行けなくても、ただ生きていればいい。

 

 

学校に行っていればできない、何か他の事で人に誇れるものだったり、自分が心の底から楽しめるものを見つければいいと思います。

 

 

それさえあればいいのです。

 

 

人と違った人生を歩んだっていい。

 

 

人生に答えなんてものはありません。

 

 

自分が正しいと思う方向へ進んでいけばいいと思います。

 

 

 

 

 

 

この記事を書いている人

 

 

 

REON

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現役の18歳放送大学生(社会と産業コース所属)

中学1年生の時に学校に馴染めずに不登校を経験。

別教室に通い、そこから成績が徐々に向上。

高校は、通信制高校に進学し、高校1,3年生の時に
最優秀生徒賞と学業優秀賞を授与される。

その後、放送大学に進学し経済学、法律、情報学を勉強中。

目標は、放送大学を4年で卒業し、就職して通信制大学でも就職できることを証明すること。

そして、放送大学のみならず、通信制大学の将来性と素晴らしさを伝えること。

reonのTwitterアカウント REON Blog (現役放送大学生)さん (@BlogReon) / Twitter